JAPAN WEED LIBRARY

DJ happyWeedCatの公式ブログ

サッカー日本代表から見る日本がアルコール大国だと言わざるを得ない状況

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昨日のサッカーキリンチャレンジカップ

新生日本代表“森保ジャパン”の初陣は見事3-0と大勝での白星発進となった。

 

私もサッカーを愛する身として、日本の友人宅で静かに

楽しませても貰った身ではあるのだが、久々に日本のテレビCMの状況を見て

やはり日本はアルコール大国と言わざるを得ない状況に、少し頭を抱えたのであった。

 

KIRINという日本を代表する大企業が国の代表の大スポンサーなので

仕方ないと言えばそれまでなのだが、今は代表を引退した元日本代表キャプテン

長谷部誠選手をビールのCMに起用したり


本麒麟 「長谷部誠」篇 30秒

 

国によってはハードドラッグとして扱われている薬物に対して

あまりに寛容な姿勢に、この国がアルコールの支配構造から抜け出すには

まだまだ時間が掛かるなと思わされたのであった。

 

本来一流のアスリートとして、極限に意識や肉体を高めている選手であれ

アルコールなど絶対に摂取したりはしないであろうが、もちろん嗜む程度に楽しむ

選手沢山いるであろう。(ヴィッセル神戸イニエスタ選手のように

実家がワイナリー経営したてりもする例もある)

 

しかし毎年多くの若者の命を奪っている薬物であるアルコール

子供のうちからサッカー選手を夢見る子供達が見るサッカー中継のCMで

流したりするのは、いささかまだアルコールに対してのリテラシー

低すぎると言わざるを得ない。

 

近頃アルハラ飲みハラなどの言葉が産まれるように

若者のお酒離れが急速に加速していると言われるが

既にかしこい若者たちはアルコールの危険性に気付いているだけなのである。

 

今は国とサッカー日本代表を支える大企業であるKIRINを

国が優遇するのは当たり前なのであるが

合法だから良いとして過剰にアルコールを推し進める企業を良しとする

この国の構造をぶち壊せる新しい何かが必要だと言わざるを得ない。

 

それが何とは言わないが

今後の超高齢化社会の日本を支えていかなければならない

我々若者こそがその新しい何かになれるように

それぞれが日々努力し続ける事が大切なのではないだろうか。 

 

 

 

 

正社員から裏カジノディーラーまで!DJ happyWeedCatの自己紹介

 

 

どうも初めまして!

ゆとり第一世代ストーナーブロガーDJ happyWeedCatです!

 

今回この記事では

何故私がブロガーを目指すのか?

 それを説明するには、やはりDJ happyWeedCatどういう経歴を追ってきた

どういう人間なのかをまず知ってもらうのが一番だと思い、書き出しました。

 

このブログで扱うテーマが日本ではまだ理解が進んでいない

大麻などについても語るブログという事で。

詳しく書かけば書くほど身バレの率が上がるプロフィールの記事を書くことへの葛藤

というものが正直あったのですが

これからの日本には、あらゆる面において本気で大麻が必要

という考えと、これからの時代は情報を発信する側にならなければとの思いもあり

いざという時はこの身を捧げる気持ちで魂を込めて書きました。(勿論嫌だけどねw)

 

日本ではまだまだタブーである大麻の事を語るこの馬の骨は誰や?となった時に

この記事を読んでいただいてDJ happyWeedCatとはこんな人間ですよと

知っていただければと思います。

 

それと

自分のこれまでの経歴や思考を一度文章として書き出して整理してみたい

というのもあって、出来るだけ詳細に書き出したのはいいのですが

どう考えても*1感じはしています。

 

しかしブログで生きていこうと決めて書き出したこのブログで

書きたいことがいっぱいあるというのはおそらく幸せなのだなと思い

私も頑張って最後まで書ききりますので、ここを訪れて頂いた皆様もどうか

少しばかりお付き合いいただき、このブログを

「ある馬鹿な日本人の壮大な計画のプロローグ」

として物語感覚で馬鹿な自分語りを楽しんで読んで頂ければ幸いと思います。

 

読み終わった後に世の中にはこんな馬鹿な奴がいるのだなと笑っていただくのもよし

この人間のクズ!犯罪者!今すぐ働け!と罵っていただくのもよし。

願わくは、こいつは面白そうだから応援してやろうかな

と思って頂ける方を一人でも増やせるように努力していきますのでよろしくお願い致します。

 

そしてこのブログを通じて、一人でも多くの日本人の方に大麻についての理解を深めて頂ければなと思います。

 

 

 

 

1989年(平成元年)DJ happyWeedCat誕生

今年で怒涛の30年だったと揶揄される平成も終わろうとしているが

そんな平成の始まりの元年に、日本国東京都に逆子の為帝王切開にて

無駄に母親のおなかを痛ませて産まれる。偉大なる母に感謝である。

 

都内では割と歴史のある有名な産婦人科を受診したところ

事前検査の情報ではお腹の子は女の子だと言われていた為

両親や親せきが等身大のミニーちゃんのぬいぐるみやグッズ

女の子用の名前を書いた額縁入りの半紙など

女の子が生まれてくる準備万端で用意していたそうで

中でも第一子にはぜひとも女の子をと願っていた父は

産まれてきた子供にち〇ぽがついていた時は非常にがっかりしたそうであった。

 

事前検査でち〇ぽが小さくて見つからなかったのが

今現在のサイズと関連しているかどうかについては

 

回答を控えさせていただきます。

 

とまあそんなこんなで、幼稚園くらいまでは東京ですくすく育ち

幼稚園からは、神奈川県横浜市へと引っ越すこととなる。

2F建て5LDKの高級賃貸マンション

今思うとご近所さんもセレブばかりであった。

 

その頃私の父は若干27歳ほどにして同じ職場の母と出会い結婚し私を産み、祖父から借金をして東京に自分の店を持つことになる。

当時から都内のある立地に目をつけていた私の父は

平成初期のバブル期だったのも手伝い

最盛期は三店舗まで事業を拡大させる事に成功したのであった。

 

そんな父は美と流行の見本となる美容師という職業柄か、普通のサラリーマンの父親達と違いルックスも若々しく、ドラマ『ロングバケーション』の時のキムタクのような茶髪に軽くパーマを当てたロン毛をなびかせながら、グラサンにスーツで高級車から颯爽と降り立ち、小学校の授業参観に父が現れた時はクラスメイトもそのママ達もがザワつくほどの騒ぎになったりと、そんな『若くてカッコよくてお金持ちの父』を私は小さい頃から尊敬しとても誇らしく思っていたのを覚えている。

 

そしていつしか

私もその偉大な父の背中を追い越したい!

将来は普通のサラリーマンになんか絶対なるものか!

ここにいる誰よりもめちゃくちゃ稼いでやる!

と小学校3年生くらいから既にぼんやりと将来の夢を描いていた

バブリーな小学生時代と当時の将来の夢

 

毎年長期休みには家族旅行としてグアムやサイパンハワイなどに海外旅行

SFCからはじまり初代プレイステーションセガサターン

はたまたゲームボーイ任天堂64GCたまごっちデジモン

…などなど流行りモノのゲームやおもちゃは何でも買ってもらえて

さらには定期的に家族で沖縄にスキューバダイビングをしに行き

平日に小学校を休んでディズニーランドへ遊びに行く非常にバブリーな家族でした。

幼心から既に私の家は普通とは違うんだ、なんとなく他の家よりもお金があるのだと

思っていたのを覚えている。

厳しいながらも愛を感じる父の教え

・勉強はしなくてもいい好きなことをやれ

・人に使われるだけで終わるな(搾取されるな)

・やりたい事を見つけろ、その為なら協力は惜しまない

 

愛知県で産まれた私の父は、私の祖父に当たる厳格な警察官の父親を持ち

真面目な兄とは違い、厳しい教育に反抗し見事にグレてしまい

超ランボンタンと言う今では絶滅危惧種である

アニメや漫画におけるテンプレート的ヤンキー像である

『リーゼントのヤンキー』になるのであった。

そして高校卒業後、自分の髪型への拘りからか美容の道に目覚め

その後矢沢永吉という今も生ける伝説のロックンローラーを目標にして

僅か一代にして東京の一等地に若干20代で自分の店を三店舗まで広げるまでの

成功を収め、まさに矢沢永吉ばりの成り上がりを見せた私の自慢の父親は

「歯磨けよ!」と同じくらいにはこの上記の3つを私によく言って聞かせました。

 

こんな男のプライドを信条とする警察官に育てられた元ヤンの父に、

私も幼い頃から厳しくも伸び伸びと育てられ、

外食に行くたびに

「その店の敷地面積あたりの売り上げはどれだけ必要なのか」

をよく考えろと、幼い頃から経営者目線の英才教育を施されていたのであった。

 

そうして私が小学校に入学すると、早速両親は私を色々な習い事に通わせます。

ピアノ、バイオリン、体操、サッカー、水泳、野球、etc……

 

色々やらせた結果、芸術系よりはスポーツが得意そうだ

中でもサッカーはそこそこセンスがありそうだと父は睨み

当時小児喘息持ちだった私の体力サポートも考えて

こちらもそこそこ速かった水泳も残し、

最終的にサッカースクールに至っては3つも掛け持ちしながら

の※習畜状態で通うこととなった。

習い事に縛られた家畜状態

 

そうして私自身、「気づいたらサッカーをやっていた」感じなのだが

いつの間にかどんどんと上手くなるサッカーに夢中になり

当時の将来の夢も自衛隊から「サッカー選手」に打って変わり

小学校が終わると、学校の友達と遊ぶ時間も無くそそくさと着替えて、一人寂しく

バスと電車を乗り継ぎ、片道1時間以上かけ練習へと足しげく通っていました。

初めての成功そして初めての挫折

そんな努力の甲斐あってか、通っている小学校内で同じクラブチームに通う友人の中で

自分だけサッカー、水泳共に所属クラブの神奈川県のチーム選抜コースに選ばれる。

それに伴い練習場所が更に遠くなり、そして練習内容もより一層厳しくなった。

 

しかし、自分だけ選ばれた事に、それなりに優越感を覚えていたのも事実であり

より高いレベルのクラブでそれなりに楽しくやっていたのだがある日事件が起きる。

 

私が小学五年生の時に、年下のめちゃくちゃ上手い奴がクラブに入ってきたのである。

同い年の仲間と切磋琢磨してレギュラーも勝ち取りクラブチームでも天狗の鼻を伸ばし続けていたのだがまさに井の中の蛙大海を知らずである。

 

その超新星は小学校3年生くらいからサッカーを始めたというのに

サッカーを初めて1~2年でナショナル選抜という今でいう

アンダーの世代代表に選ばれ年上の私達のチームではトップ下でレギュラーを張り

FKもCKも全部のキッカーを務めガンガン点を決めていった。

 

結局その子はそのままJ株に引き抜かれJリーガーへと昇格していったのだが

その才能を同じチームで目の当たりにした私は、幼心にもあまりにも衝撃的で

その伸び切った天狗の鼻は早々にへし折られ、そして私は小学校5年生にして

プロサッカー選手への道を諦めたのである。

 

今思うとあまりに早い挫折なのだが

当時生まれ持った才能だけでサッカーをしていた私は、努力をして結果が出ないことが怖くて仕方がなく

「まだ本気出してないだけだし」と自らに言い訳をして、戦うことすらせず大好きなサッカーから逃げ出して

自らの可能性に自ら蓋をしてしまったのである。

 

そこからはもうサッカーが嫌いで仕方がなく両親に辞めたいと毎日せがむも

逃げ出すことを絶対許さない父は私が何と言おうと小学校卒業するまでは絶対に辞めさてはくれなかったのである。

 ★充実の小学校生活

一方サッカーに対する情熱は段々と失ってきてはいたのだが小学校での

生活はわりと充実していた。

 

ほぼ週7で習い事の為、同級生と遊ぶ事は滅多になかったが

当時学年で一番足が速く、また水泳やサッカーの上級生や他校の子達との情報交換により、ポケモンデジモンなど、当時のトレンドゲーの裏技などを網羅していた私は

クラスメイトから引っ張りだことなり、そして両親が美容師という職業柄、トレンドには敏感な父親にファッション髪型などのセンスもコーディネートされて磨かれていった。

またこの時に絶対に流行るからと父親が買ってきた

ハリーポッターと賢者の石」と「iMAC」にハマり

はじめて読書の楽しさとPCの存在を知り、

それ以来親が買ってくる本をジャンル問わず スクールへ通うためのバスや電車内で読みふけり,、家に帰るとImacを触り続け超絶面白FLASHを探してきては、小学校の情報の授業で友だちに見せて笑いを取っていたりした。

 

そうしてそんな甲斐あってか、小学校高学年になると私は第二次モテ期を体験する。

ちなみに第一次は幼稚園で終了しているので、残すはあと一回のみなので

今後の人生に期待である。

とまあ高学年になると学年クラス問わず毎日プロフィール帳の記入を女子に求められ

3か月に一回は告白をされ、ラブレターやバレンタインデーは毎年2桁を超え

クラスの同級生達は男女問わず

私がえんぴつからシャーペンに買い替えれば皆がそれを真似し

私が体操着の短パンをadidasの三本線に変えると

皆がそれをまた真似ていた。

まさに小学校内のインフルエンサーであった。

おそらく今まででDJ happyWeedCat他人に一番影響を与えていた時期であったとも言える。

 

中学校進学そして転校と反抗期、そして衝撃の出会い

 

そして時は流れそのまま学区制の為私は地元の公立中学校に進学

同級生の半数は有名な私立中学校へと進んだ。

 

習い事の一つの水泳は、サッカーに集中したいと必死の説得の末無事辞める事に成功

習い事はサッカー1本となっていた。

 

本当はサッカーも小学校卒業と同時に辞めたかったのだが

たまたま受けた新設のジュニアユースのセレクションに受かってしまい

父の強い希望もあり続行。練習が週4~5回に減ったので休める時間

友達と遊べる時間が出来たのが本当に嬉しかったのを覚えている。

 

そして進学した公立中学校ごくせんクローズもビックリなヤンキー中学校でした。

盗んだ自転車や原付で学校に通い、煙草を吹かし酒を煽る

生徒は黒髪のほうが少ない、授業は常に崩壊

授業中に不良グループが下級生を暴行しにくるのは日常茶飯事

帰りには上級生が下級生の頭髪チェック

学校内は落書きだらけとまあ窓ガラスは流石にたまにしか割れていなかったが中々の荒れ模様の中学校であった。

 

そしてサッカーの方もジュニアユースチームへ入ったは良いものの

既にサッカーへの情熱を失っていた私は

早速煙草を覚え酒を覚えDQN街道まっしぐらーとなりそうなところを

両親が察したのか、たまたまタイミングだったのかは不明なのだが

父は横浜市内の別の区にある最上階角部屋億ションを突然ローンで購入

それに伴い私も中学二年の途中で転校となりました。

人生で初めての転校です。

人生初の転校そして衝撃の出会い 

 

転校先の中学校は、同じ市内にあるにも関わらず、前の学校とは180度違い

・授業中に居眠りしただけで不良扱いされる

・全員がYシャツイン、スカートが長い

・8割が塾通い

などなど糞がつくほど真面目な中学校

勿論髪を金髪にしている奴など全学年でも私だけのような中学校であった。

 

転校してきて1週間ほどは毎日クラスに見物人が来ていて

まるで動物園のパンダにでもなった気分だった。

 

 これでまた転校を機に気分を入れ替えて、新規一転サッカーにでも打ち込むのかと思いきや

私はここである意味人生を変える”衝撃の出会い”を果たします。

それは夏休みの再放送か金曜ロードショー的な物で放送していた

 

新世紀エヴァンゲリオン/Airまごこころを君に」

 

である。

丁度セントラルドグマ碇ゲンドウが裸の綾波レイを連れ出すシーンであった。

え!?!? 女の子の乳首が見えてる!!

腕が落ちた!!え!?グロ…こんなんTVで放送していいの??

 

と、当時アニメと言えばどらえもんかポケモンくらいで、クレヨンしんちゃんが視聴禁止だった家庭の私にとってまさに衝撃的映像でした。

 

すぐさまレンタルビデオ屋に走り

アニメ版のエヴァVHSを借りて一晩で見たのは今でも覚えています。

そこからはもうサッカーなどそっちのけで

アニメ・漫画・ゲームなどのオタク文化

どっぷりハマり始めるのであった。 

毎クール新作アニメを10本以上チェック漫画とラノベブックオフで買い漁り

チャットサイトに感想を書いてはネットでできたアニメ仲間とチャットメール

話すのが楽しくて仕方ありませんでした。

 

オタク友達コミケにも行くようになり、買うだけでは飽き足らず

ついにはオタク仲間達とグッズ販売でサークル参加を果たすまでになるのだが

これはまた別の所で書きたいと思っている。

 

そして急速にオタク化が加速する中せっかく治安の良い学校へ転校したと言うのに

私は前の友達と引き離された事にショックを受けてしっかりと反抗期を発症

無事マイルド金髪ヤンキー(隠れオタクと化した私は、両親へ常に反抗

暇を見つけては前の地元に戻り、不良行為を繰り返していた。

 

深夜になると家を抜け出し、盗んだバイクで旧地元へと遊びに行った。

煙草をふかし、耳にピアスをつけて、制服の下にカラーシャツを着て必死に舐められないようにヤンキーぶり

警察にお世話になる事も一度や二度ではすまなかった。

 

最後にはサッカーの試合中に家庭裁判所から呼び出しを受け

あわや少年院というとこまで行ったのでしたが

それまで私が何をしようと、厳しくも手だけは絶対にあげなかった父に

産まれて初めて殴られながら「頼むから盗みなんてダサい事はするな!!」と激昂され

その時初めて事の重大性に気づき猛省。

 

その後、集まればアルコールとニコチンを煽り暴れまわる

ヤンキー文化に疲れたのもあり、段々と旧地元にはあまり近づかなくなっていた。

 

一方サッカーの方もやる気はほとんどなく、当然試合にもほとんど出られず

されども父が怖い手前辞める事も出来ずに相変わらず

サッカーは惰性だけで続けていました。

 

そんな中、中学校三年生になり、高校進学の話になるが、当時の私の成績はというと

5段階評価で1から5まで全て存在するカオスな成績だったため

進学できる高校は限られていた。

サッカー推薦を駆使すれば、私立高校ならあるいはという具合である。

 

当時オタク文化に夢中だった私は高校進学もサッカーも全てが

どうでもよく、アニメに関われる仕事に就きたいと既に考え始めており、

絵は掛けないけど話は書ける自信があった為、自分でラノベ書いてアニメ化させて自分で主人公の声優を演じてやる!と高校には行かず、小説を書きながら声優になりたいから養成所に行きたい

とせがむが勿論許可されるはずもなく渋々サッカー推薦を使い高校へと進学する。

 

この時父が高校の時に海外留学を断念した思いから、私にも海外留学という選択肢も持ち上がり何個か説明会などにも行ったのだが、この頃の私は海外に興味が全く無く強いて言えばいつか英語を覚えたいくらいのノリであったため

どうせ行くなら日本での高校生活が良いとの誘惑に勝てず留学を断念。

あの時留学選択していたらどんな人生だったのか興味はありますが後悔はありません。

 

そして始まる青春の高校生活

それは地獄の始まりの一歩に過ぎないのでした。

 ★地獄の高校生活

 

高校生活はまるで軍隊の様な3年間であった。

当時学校のグラウンドが小さかったため

電車とバスを乗り継ぎ1時間以上かけ姉妹校の練習場へと通い

問答無用で足が攣るまで走らされる

春休みに走っておけと言われてはいたが

それにしても中学と高校では練習量が段違いである。

 

しかもこれは入学後に知ったのだが、そのサッカー推薦で入った高校は、

運悪く当時神奈川のサッカー部の中でも1,2を争うほど走る高校であり

喘息持ちで体力の無い私にとっては正に地獄そのものであった。

全くそういう事は先に教えておいてほしいものである。

 

 ボールを蹴っていたというよりはただひたすらに走り続けた3年間であった。

(文字通りの意味で)

完全な休みなど年に5日ほどしかなくされど朝練は毎日あり

放課後は電車で1時間かけて姉妹校へ移動し夜21時~22時まで練習

何かあればすぐに罰走&坊主の連続で連帯責任という鎖でがっちり縛られていた。

 

高校生になってますます真正のアニオタとなっていた私は

サッカーへの情熱など既に足の小指の爪ほどしかなかったので

このガチな部活が本当に辛く、入部一年目にして両親に辞めたいと泣きついた。

しかしサッカー推薦で入学した手前、サッカー部を辞めれば自動的に高校も退学となる為世間体を気にする両親はここでも絶対に辞めさせてくれはしませんでした。

 

その後両親や担任の先生や顧問、友人などに励まされながら

のらりくらりと練習を効率よくサボりなんとか無事

3年間引退までを乗り切る事に成功

 

その間同級生の部員を半数オタク化することに成功。

共にコミケで並ぶまでに成長させる。

 

勿論そんな練習態度なので試合などまともに出られる訳もなく

ときたまスーパーサブとして試合に出られる程度でした。

 

そうして高校3年生の夏休み前、夏越えを掛けたインターハイ予選で負けて

引退が決まり、多くの部員が咽び泣く中、これから始まる人生初めての自由に胸膨らませて膝を抱えたふりをしながらアニオタ仲間とニヤニヤしていたのを今でも覚えています。

部活引退・人生初の夏休み・アルバイト・そして浪人へ

引退したその日の足でオタク仲間達と帰りにマックに行き、照り焼きバーガー

コーラこれから始まる自由に乾杯をし、夏休みに何するかを延々と話し合った。

 

とにかくこれから一か月も休みがあるという喜びが込み上げてきて仕方がなかった。

なんせ小学生から夏休みはサッカーか水泳しかしていなかったので

高校3年生にして初めてのまともな夏休みである。

 

遊びまくってやるぜー!!と。当然なるが当時高校生でお金などあるはずもない。

しかも我が家にお小遣い制度などは特になく、毎年のお年玉を親が全て持ち

友達と映画を見に行きたいと時とか、新しいスパイクが欲しい時など必要な時に父に頼み、お年玉からお金を出してもらうシステムだったので

ここに来て人生で初めてもっと遊ぶためにはもっとお金が必要』だと言う事に気づく。

 

お年玉も速攻で使い果たし途方に暮れていたところ

まだ当時派遣型アルバイト全盛期だったため、友人がフ〇キャストを進めてきて即登録

暇な日は友人とアルバイトに励む日々が続いた。

 

この派遣型アルバイト、職種は千差万別で日時の条件が合えば何でも出来た。

宅急便の仕分けから引っ越し、ライブ会場設営、ビールの売り子、披露宴での配膳、居酒屋の店員、フルーツの消毒、携帯電話の組み立て、覆面価格調査、交通整備などなど

他にも様々なアルバイトを経験する。どれも1日で終わり次の日には給料が貰えたので

金欠高校生には大変助かるアルバイトであった。

 

そうしてアルバイトをしてはそのお金で遊ぶを繰り返すある意味高校生らしい夏休みを終いよいよ周りも進学就職かを考え始めなければならない時期に突入。

 

通っていた高校は普通科の平凡な偏差値の私立高校ではあったが、高望みしないくらいの大学であれば

私の成績でも十分に指定校推薦を取れたのだが、そんなレベルの大学では父が許可しなかったのである。

その時ぼんやりと将来は指定校推薦で適当な大学に行きそこでアルバイトをしながら

声優養成所の資金を貯めて通いながら小説を書きたいなんて考えていた私にとって

まさに青天の霹靂であった。

 

もちこんここまでまともに勉強などしてきたこともなく、数学は分数が絡むと怪しい

英語のbe動詞と動詞の違いすら分からないくらいの学力だった私にとって

 

高校三年の9月からいきなり受験勉強を始めるのはあまりにも気が乗りませんでした。

 

そうしてそのまま特に受験勉強もせずにバイトと遊びに明け暮れ迎えた受験本番…

 

当然全て落ちました(笑)

 

あーあと落ち込んでいるフリをしていると父親は私に

「あと1年浪人して東京6大学に行け」

と浪人を進めました。東京六大学が何かも知らない私は当然拒否します。

 

私「アルバイトでお金貯めて養成所に行く!空いてる時間は小説を書く!」

父「駄目だ!予備校に行け!交通費やお小遣いはこれからお前がバイトで稼げ!」

と急に厳しくなります。結局元ヤンの父には逆らえず浪人へ突入。

 

どうしてここまで大学進学に拘るのか聞いたところなんと

両親の家系で大学を出た人が一人もいない為まさに私の大学進学は親族の悲願でもあったらしいのである。

『6大学に拘るのも名前の通じない大学は祖母に言っても分からないからと』

その名前の通じない大学にすら行ったこともないのに断定するその胆力に脱帽し

その後無理やり市内の予備校に通わされるも、最初からやる気が完全に無かった私は

3日も通わずにその後の授業を全てサボり、両親は予備校にお金を寄付することとなった。

 

そして相変わらずアルバイトオタ活に明け暮れる日々、その時のアルバイトはインターネットカフェであったが

このアルバイトは今までやってきた仕事の中でも群を抜いて楽であった。

楽すぎてそのままここに就職しようと決意するも

受験前に3.11の影響により閉店となる。

 

 どうしようと路頭に迷っていると友人の紹介でカラオケ店を紹介され

すぐにそこでまたアルバイトを始める。

肝心の受験勉強はというと最初の予備校に通った3日間以外は一切手を付けておらず

結局受験本番まで英単語一つすら覚えようともしませんでした。

 

そんな中迎えた人生二度目の受験

今回は流石に私だけでなく両親も既に諦めていて

センター試験に至っては私立併願すら金の無駄として受けさせてもらえなかった

当然である。最早ただのセンター記念受験である。

その後一般受験にも挑むも勿論受かるはずもなく

勿論滑り止めも、指定校推薦で行けた大学も全て落ちました。

 

こうして19歳にして人生のどん底に落ちますが

ここである事に気づきケロリと立ち直ります。

そのある事とは

「別にアルバイトの収入でも実家なら十分生きていけるしヲタ活でもしながらお金貯めて養成所にでも行こう」である。

 

そうして22歳までの3年間ほどは実家でぐうたらとフリーター生活を堪能した。

週に3~4回の出勤で月の収入は10~15万円ほど、仕事も楽で

家族からの視線を気にしなければ実家で暮らしながらオタ活をするには十分であった。

 

そして周りも大学を卒業しそれぞれ就職先へと旅立ったのであるが

私はいつまでたっても養成所へ行くお金も貯まらず、されどまともに就職する気配など見せず、どんどんと部屋に溜まっていく大量の漫画や小説、ラノベ、アニメのDVDに美少女フィギュアに同人誌、壁全面にはアニメポスターに下着姿の等身大抱き枕にベッドシーツ…もちろん彼女などいるはずもありません。

「親父を超えてBIGになる」という夢もいつか忘れはじめたころ

そしてついに父の堪忍袋の緒がぶち切れます。

 

父「今すぐ就職しないと家を追い出す、俺の常連がPanasonicのお偉いさんで、お前をPanasonicの正社員にしてくれるらしいから今すぐアルバイトを辞めて就職しろ!」

 

私「ま?」

 

と父は私が抵抗する間もなく、20代前半で自分の店を持つという即決力長年のコネをフル活用し、勝手にアルバイト先に電話をして結局3年務ほど勤めたアルバイトを辞めさせられ

更には就職の為にならではと、祖母からの寄付金車の免許(MT)を取らしてもらいスーツも新調し、髪型もバチッと整え

誰もが知るあの大企業Panasonic正社員として就職することとなる。

 

流石の私も、ここまで散々とお膳立てされたのもあり

出勤日当日までには段々とノリ気になっていった。

周りの友人らにも「俺、Panasonicに就職する事になったわ(ドヤァ」

と言いふらしたりもしました。

 

そして来たる初出勤日、バシッとスーツをキメ、髪も父にバシッとセットしてもらい

初日はなんと社用車で迎えに来てくれるとの事で自宅前まで来た車に乗せられの初出勤

まるで社長みたいじゃないか、それにしてもPanasonicなんて大企業

これから通う事になる会社も勿論でかいのだろうなぁ…などと胸を躍らせながら車に揺られ数十分

 

そうして辿り着いた私の職場は、看板にでかでかとPanasonicと書かれた

商店街の中によくある小さい町の電気屋さんでした…

初めての正社員、そして

 

正直に言うと、迎えに来た時の車の側面にPanasonicと書かれた「軽トラ」

であった時点で悪い予感はしていたのだが、その予感は正しかったのである。

確かにこれもPanasonicではあるが聞いていた話とあまりに違う。

 

到着早々、新調したスーツくさいつなぎの古作業着に着替えさせられ

バシッと決めた頭には臭い安全棒を被り、

法人ビルや各家庭に煙草臭い軽トラに詰め込まれて運ばれ、

朝から晩まで汗だくでエアコンや家電の取り付けをひたすらやらされる事になる。

担当になった上司は、右も左もわからない新人

初日から専門用語であれこれ取ってこいと毎日怒鳴るパワハラ老害野郎であり

 

私が想像をしていたバシッとスーツを着て大きなビルへ通勤し

PCをカタカタするという想像からあまりにかけ離れた仕事内容に、なんと私は

 

入社1週間で退職希望を告げます。

 

 前述の仕事内容のうえに給料も手取りで18万ほどの薄給

聞くところによると他の社員もみんなハローワークから紹介されてきたとばかりと

万年人不足らしい、なんだ!こんな所コネでもなんでもなく入れるじゃないか!

毎日怒鳴られながら 働かされてこれだけしか稼げないのか、

と段々と怒りがこみ上げてきて、まだアルバイトの方が100倍マシだと父親に猛アピール今回は説得することに成功し無事退職。

 

こうしてすぐさまフリーターに逆戻りかと思いきや

なんと前の素敵な仕事を紹介してくれたPanasonic本社お偉いさんは、

すぐに辞めてしまった私を気遣い、次は当時から飛ぶ鳥を落とす勢いのあのSOFTBANKに正社員として就職させてくれるというのである。

 

なんてありがたいのであろうとその話を受けるも、ここでも私は騙されるのであった。

もう勘の良い読者の方はお分かりかと思うが勿論、次の就職先もSOFTBANK本社などではなくSOFTBANKショップを営業する代理店に就職することとなる。

 

これもまた私の想像とする仕事内容では無かったが、スーツを着る仕事に就いた事だけで意外と満足であり、それに今となっては何処でも契約できるが

当時はまだiphoneSOFTBANKしか取り扱っていなかった事もあり。

携帯電話ガジェットが当時から好きだった私はそのまま1年ほどそこに務める事となる

 ここでの職業レポもいつか書いてここに貼ります。

 

相変わらず給料は少ないものの段々と業務にも慣れ、

接客マナー研修などでビジネスマナーを身につけ、契約もバンバン取り

入社三ヶ月で接客グランプリなるものまで選出され、ついには大型店舗での勤務だったのだが、フロア案内から契約からお見送りからアフターサポートまで全て一人でやってしまう一人小型店と言われるまでに成長を遂げたのだが、

ある日突然auショップへの異動を告げられる。

 

代理店勤務のサラリーマンの宿命なので致し方ないが

せっかく覚えた料金プランや販売製品の知識など

また1から覚え直す事に強い抵抗を覚えたのもあり、その後一ヶ月持たずにすぐに退職

 

そうして父の常連である客からの紹介の仕事を二度もすぐに辞めた手前申し訳が立たず

次は自分で仕事を見つけてくると豪語

ハローワークやジョブサイトを駆使し不動産関連の仕事を見つけて見事三度目の正社員となる。

初めてのブラック会社ハローワークのトライアル

 見つけてきた会社はそれはもう超が付くほどのブラックであった。

朝から晩までひたすらどこから手に入れてきたのかよくわからない名簿を使い営業電話をかけまくる。稼げる人は稼げるのだろうが、入社初日から

アポイントが取れるまではお昼も休憩も定時上がりも土日も一切なしの徹底したブラックぶりに初日でバックレる新人も多数出る中、もちろん社会不適合者の私にそんな仕事が合うはずもなく一ヶ月持たずにしかも給料ももらわずにバックれました……

 

しっかりと給料をもらって辞めなかった事に父は激怒しましたが

ここに1秒でも長くいるとリアルにストレスで死ぬと感じたので当時は仕方がありませんでした。これでますます家族からの風当たりはキツくなっていきます。

 『どうしてお前は普通に働けないのか』

『若いうちは我慢しながら仕事をするのが普通』

いつからか父の口癖は世間体を気にしだし

「早く就職しろ、社会保険がある所なら何処でもいい」

に変わっていました。

普段は進路に口出ししない母も執拗に「皆と同じように普通に働いてほしい」と口をだすようになります。

 

そんな中、次は『今までは自分が興味のない仕事だったから続かなかったのだ!』

今度は自分の興味がある分野で働こう!

とここで初めて自分が好きなものについて見つめ直してみるも

その時一番好きだったものはアニメ関連だったのでその分野に絞りハローワークで仕事を探していると

CD・DVDプレスの代理店の営業職三ヶ月トライアル期間の募集を見つける。

その他にも声優事務所のマネージャーやアニメイトの社員なども受けたりし、

全て採用通知を貰っていたのだが、三ヶ月間とりあえず働いてみて、雇用者と求職者双方で合うか合わないかを判断して最終的に正社員採用となる制度に惹かれ

結局CD・DVDプレス代理店に四度目の就職を決める。

 

大阪に本社を構えるプレス会社での東京支社勤務となり華の渋谷が勤務地となり

三か月間プレス代理店の東京支社長跡継ぎ候補として働き始めるのであった。

 

持ち前の器用貧乏さを活かして小さい会社ながらも順調に評価をされていき

他の事業部まで兼任するという話まで持ち上がったりもしながら

あっという間に三か月が経ち、いざ正社員になるぞ、というところでなんと

正社員は残業代が出ないことが発覚、更に支社長として仕事を全て引き継ぐと

土日全てサービス出勤しても時間が足りないなどブラック企業としての顔

早速見せ始め

 

最後には大阪の本社まで行き、社長やその家族や社員などと挨拶までしたにも関わらず

トライアル期間終了と共にバックれたのであった……

 

またもやバックれて辞めた私に対して両親の我慢は限界

「今すぐ部屋にある気色の悪いものを全て捨てる!そういうのは稼いでからやれ!!」

と宣言され勝手に部屋のヲタグッズを捨て始めるのであった。

 

仕事が続かないストレスと家でのプレッシャーの板挟みで既に限界だった私は

もうどうにでもなれと趣味を侮辱された事でついに何かが吹っ切れ

「捨てられるくらいだったら全部自分で売る!! 家も出ていく!!」と吐きつけて

当時持っていた全てのオタグッズを血の涙を流しながらブックオフに売り飛ばし

そのお金と着替えをボストンバックにありたけ詰めてそのままの勢いで

23歳にして初めて実家を出る事となったのであった

 

ホームレス、バイク旅、スロプロ、そして

ヲタグッズを全て売ったお金10万円ほどとトライアル期間の給料の残り8万を合わせて手持ちは18万円ほどでした。

季節は12月過ぎだったので、寝られるところを探しては、関東を中心に

日本国内を転々として過ごす日々が始まった。

 

家を出て最初にしたことは、まずヤフオクで同じ市内の激安の中古原付バイクを購入し移動手段を確保することだった。

基本的には公園のベンチ河川敷公衆トイレ、道の駅、2chの泊めてくれる板の住人の家などで雨風をしのぎ

手持ちのお金で一日パンを一つ食べ、水は水道水をペットボトルに入れて持ち歩いていた。

お風呂は3日に1度一度満喫や銭湯などで済ませ、洗濯物はコインランドリー

原付のお陰で荷物を載せられたでボストンバック3つほどの荷物を持ち歩いていました。

 

その時の主な収入源はギャンブルなどで、スロットの天井狙いのハイエナに徹底し

さらには仲間内の麻雀にも一切手を抜かず徹底的に勝ちにこだわった。

そんな努力?のお陰か、半年経つ頃には部屋を借りるほどにはお金はないが

毎日満喫に泊まって3食食っても問題ないくらい稼ぐ事が出来たのである。

 

この間恥ずかしいのでホームレスであることは親しい友人以外には隠していただが

意外に誰にもバレる事はなく、ちょくちょく神奈川に戻っては昔の友人と遊んでいました。

 

そうして早くも実家を出て丁度1年が過ぎたころ、

友人の結婚式のために神奈川に戻ってきているときに

中学時代の友人Aに遭遇する。

この友人Aとの再会により、私の運命はまた大きく捻じ曲がる事となる。

 

久々の再開で昔話に華を咲かせていると

なんと友人Aは現在知り合いの店でキャバクラの店長をしているらしく

Aの家に住んでいいからウチで働かないかと誘われ

そのままAの家に居候することとなり、ホームレススロプロからキャバクラの黒服へと昇格する事となったのである。

布団を敷けばもう足の踏み場もない、階段下のハリーポッターと同じくらいの部屋だが自室も手に入れ

ようやく寝る時の雨風の心配やネカフェの延長料金を気にする必要が無くなったのである。

 

キャバクラ黒服時代そしてアンダーグラウンド

 キャバクラの黒服として働き始め3ヶ月ほどが経ち

仕事にも慣れてきて、段々と余裕ができ始めたある日、事件が起きる

店長のA店の営業方針でオーナーと大喧嘩その日のうちに辞めると宣言

Aの紹介で店に入った私も巻き添えで共に3ヶ月で無職となる。

 

既に23歳にして何度無職になったか分からないくらい無職になることに慣れすぎてしまったのか危機感などは全く無く

Aとヘラヘラと笑いながら次の仕事はどうするかと釣りやスロットなどをして無職期間を過ごしました。

 

そうして無職期間を堪能し、さあいよいよ次の仕事はどうするかとなった時に

ふと「Aの親父がなんと裏カジノで働いている」と言っていた中学時代のAの話が気になり、詳しく聞いてみるとなんとそれは事実であり裏カジノは日本に存在すると言うのだ。

 

紹介はできるけど表の職歴はもう就かないし最悪捕まる事もあるというリスクも勿論聞かされたがその月給は表の世界の新卒で大企業に入って10年は働かないと稼げない月給であり、既に表の会社に希望をなくしていた私は、早く稼いで念願の一人暮らしをしてみたっかったのもあり、私は裏カジノで働く事を決意するのであった。

 

裏カジノディーラー時代・初めての一人暮らし・そして大麻との出会い

この時代の詳しい話はまた別の記事で書こうと思っているが

とにかくアンダーグラウンドでの生活は私の価値観と人生を一変させた。

そしてこの時代が普通に聞くと滑稽に聞こえるかもしれないが表の会社と比べても、

一番労働者として楽しかった時代でもある。

 

3食作りたてのご飯が食べられ1時間に1回は煙草休憩があり

残業代は15分単位できっちりと出る。

仕事内容もディーラーさえやらなければ基本的に立っているだけである。

ディーラー自体も絶対にミスが出来ないという緊張感はあったが、お客さんとの勝負は楽しくまさに天職かもと思い始めていた。

また週6日勤務1日12時間という拘束時間が異常に長い事やスマホが仕事中一切触れないデメリットなどはあったが

いち早く居候の立場から脱却し一人暮らしがしたかった私は一心不乱に仕事に打ち込んでいった。

 

無遅刻無欠席など表の世界では当たり前のことが、ンダーグラウンドでは出来ない人が多くただそれをするだけで周りからの評価を自然に高まっていった。

それと裏の世界はITに弱い人が圧倒的に多くPCやスマホに詳しいキャラということでも評価を高めていき、どんどんと裏社会の出世街道を駆け上がっていった。

能力がすぐに給料に時給として反映されるのもこの業界の魅力であった。

 

またこの時からブログなどを始めあらゆる副業に手を出し始めた時でもあり

(この時のブログは長く続かなかった)

たまたまその中の一つの無在庫転売が上手くいき、カジノの給料と合わせて

100万稼ぐ月も珍しくなかった。

 

こうして私は実家を飛び出してホームレスになってからおよそ2年弱で

以前は考えもしなかった生活を送る事になり

23歳にして月100万を稼ぎ、最上階角部屋のマンションも借りて、車も買い

高級ブランドを買いあさり、美味い飯をたらふく食べ、好きなヲタグッズは好きなだけ買い、とまあ正にプチ成金のお手本のような生活を続けていました。

 

そんな中24歳にして人生で初めて大麻を体験する。

 

この時の私はまだそこまで深く考えてはいませんでしたが、この体験が後のこのブログを始める最初のきっかけであり国や大人が教えることは絶対』だと信じていた私の価値観をひっくり返される衝撃的体験あったのだが

これについても書き出すと止まらなくなるので、また別記事でまとめるつもりではいるがとにかくこの大麻との出会いによって私の生活は更に一変することとなる。

 

まず今まで社会生活を営む上で悩まされていた不眠症や偏頭痛、喘息などの体質改善が見られ元々お酒が飲めなかったのもありどんどんと大麻の魅力にのめり込んでいった更には当時一日一箱は吸うヘビースモーカーだった煙草

「1日20本煙草を吸うなら1本ジョイント吸えば良い」禁煙に成功。

2018年現在で3年ほどアルコールとニコチンは一切口にしていない。

 

ともかくこうして私にとって大麻は、いつしか肉体的にも精神的にも支え続けてくれる生活のQOLを上げてくれる欠かせない物となっていった。仕事上のストレスも泣きたい夜も家に帰って大麻が吸えればそれだけで良かった。

 

それからはいろんな友人を家に招いてセッション(一緒に大麻を吸う事)が

もっぱらの娯楽となった。

 

あいつは大麻ジャンキーになってしまったと離れていった友人も勿論いるが

それ以上に大麻の魅力に気づき、また一緒にやろうと言ってくれる友達のほうが

断然多かったのも嬉しかった。

 

こうしてアンダーグラウンドに落ちてからあっという間に2年が過ぎ

 

長時間労働からの思考停止への恐怖接客業でのストレスの限界、スマホが触れない事による副業への影響

そして昔思い描いていた声優への夢が諦められず、こっそりとお金を貯めて念願の養成所へ入所することに成功。

そして入所して半年たったある日、遅番へのシフト変更に伴い通う事ができなくなったのと、同人でちょくちょく声の仕事を頼まれたりもあって、もし声優になるなら

事務所所属じゃなくても同人やネットラジオ配信でも稼げるじゃんと気付き退所。

 

そんな中、元々好きなのも会って里親から貰い手のいない捨て猫を貰い受けるのだが

いつしかこの子が私の生きる糧となっており一緒にいる時間を大事にしたい!と言うのもあり、これからは個人で生きていく時代だ!副業一本に仕事を絞る事を決意。

 

結局一度も捕まることなく2年近く働いた裏カジノ業界を引退

副業に専念していったのであった。

 

副業の失敗・会社の立ち上げ・そしてまたアンダーグラウンド

 

最初はこれで愛猫と一緒に仕事が出来る!とガンガン仕事をするが

副業に専念し始め半年が経ったある日、すぐに経営は行き詰まっていた。

当初勢いがあった無在庫転売店自体がネットショップを開いたり

転売自体を禁止したりと次々と売上も落ちていき、その後せどりや限定商品転売などにも手を出すが

結局在庫を抱える事の方が多く、みるみる貯金も無くなっていき、すぐに生活に行き詰まってしまったのである。

 

裏カジノ時代の同僚や先輩後輩たちにも

「いつかBIGになって客として遊びに来ますよ」とか調子の良い事を言って引退したのでまた同じ店に舞い戻る気にもならず、どうしようかと途方に暮れていたところ

たまたま会った大麻好き中学時代の友人Y会社を作るから立ち上げを手伝ってくれないかなんだか面白そうな話を振ってきたため二つ返事でOK

立ち上げてまだ3日のベンチャー企業への就職を決めるのであった。

ベンチャー企業立ち上げ・給料未払い・倒産

ここでの話もまた別記事でまとめて書いてここにリンクを貼るつもりではいるが

それはもう潰れて当たり前の悪いベンチャー企業の見本を集めたような会社であった。

まともに業務出来ていたのは正味2ヶ月も無く

後は相次ぐマシントラブル原価の計算ミス(そもそも計算すらしてない)などなどが重なり、なんと立ち上げ三ヶ月目にして給料未払いという目も当てられない始末に陥る。

 

毎日カップラーメン一つで飢えを凌ぎ、家物を切り売りし家賃や日銭を稼ぐ日々が続いた。

 

会社の立ち上げを勉強させてもらいながらあわよくば会社を乗っ取ってやろうとか考えていた矢先ではあったが

既に出発した時から欠陥まみれの泥舟である事にいち早く気づき半年ほどで退社

この間社長に給料を催促するたびに土下座をされ居た堪れない気持ちを何度も経験する。その後私が辞めた三ヶ月後に見事倒産他社へ吸収されていった。

 

勿論退職後もしばらく給料は支払われることは無く友人にお金を借りたり

車を売って駐車場を解約してとにかく出費を減らしたが

とうとう一日醤油味の具なしパスタしか食べる物が無くなり

されどもう表の仕事の待遇と給料では満足できない体になってしまっており

泣く泣く裏カジノ業界へと出戻る事にしたのである。

裏カジノへの出戻取り・心身崩壊・そして鬱病

その時既に実家を飛び出してから4年あまり経っており

その間両親とは一度も連絡を取ることは無かった。 

いつかBIGになって小うるさい両親を見返してやる!

そんな気持ちと愛猫大麻だけがいつしか自分を支えていました。

 

こうして出戻った裏カジノ業界、今度は前とは違う系列のお店へ入ったのですが

ここで分かったのは裏カジノ業界も店によって全然待遇が違うのだと言うことである。

次に入ったお店はスマホも勤務中弄れてお客さんがいなければ常に寝ているか遊んでいていいなどと、かなり自由が効く店であった。通勤初日には電車賃すら無く3時間歩いて通勤していた身には嬉しい事に給料は日払いで三食ご飯付きである。

 

そして前の店舗と一つ決定的に違うのが893の方々が普通にお店に打ちに来る事であったある一般的な裏カジノ業界は基本的に暴力団関係の方は一般のお客さんが怖がるため入店出来ないのであるが、その店はお構い無しの893ウエルカムなお店でそこらのチンピラ893からその街をまとめるボス893まで千差万別のギャンブル中毒893が押し寄せる店で、それはもう私達ディーラー達への当たりは酷いものであった。

 

前のお店と違いディーラーとしてゲームに入るたびにストレスで、毎日

『いつか必ず刺し殺す』

『お前を街で見たら確実に轢き殺す』

『夜道と実家には気を配れ』

 

などの恫喝は挨拶のようなもの

更にはゲーム中に頭を殴られ足を蹴られ

本来止めるべき黒服も苦笑いするのみである。

そして出戻りから1年が経とうとしたその頃

仕事中に突然目眩がし倒れ、その後入院する事となる。

直接の原因はインフルエンザだったのだが、同時にストレスによる心身負担、鬱病の疑いありと診断される。

入院している間よく考えていると裏カジノは確かに表よりは遥かに高い給料だが、

893を相手に命懸けで捕まるリスクを背負いながら時給1700円はあまりに安すぎる。

段々と待遇に腹が立ってきたのと、鬱病のせいなのか

もう何をしても無駄なんじゃないか、俺はBIGになんてなれなくて

ただの底辺のまま死ぬのだとネガティブ思考が止まらなくなる。

 

心身はリンクするとよく言うが、どちらかを崩せばどちらかに負担がかかるのは当然であり

結局2ヶ月近く体調も精神状態も治らず働こうとしてもどうしても体が軽く熱を帯びたように怠く動かず、何もやる気が起きなかった。

だけどもお腹は減るものでどんどんと貯金は無くなっていき、

ついには友人に借りていたお金や、家賃の支払いも出来ないWEEDも買えない

将来に絶望しか無く、早く死ねないかなと思う日々であった。

 

そしてとうとう自殺を決意愛猫を田舎の祖母の家に預けようとこちらも

5年ぶりに尋ねると、元警察官の祖父は酒で肝臓を壊し、毎日透析に通うため腕の

血管はグロテスクに腫れ上がり、更には認知症も大分進行しており

同じ話をよく繰り返し聞くようになっていた。

 

祖母にも父と同じように工場でも何でも良い早く働いて安心させてくれと言われるが何も言わずに猫を預かってくれ、帰りにはいつも帰省の帰りに持たしてくれた弁当箱と封筒の中に10万円が入っており。『本当は畳の張替え代に使おうと思ってたけど可愛い孫のために使わせてもらうよ、おばあちゃんたちももう年金暮らしだからあまり大きな金額は渡せないけどね』との書置きを読みながらしょっぱいウインナと卵焼きの弁当を食べて、祖母の優しさと自分の無力さにもうどうしたら良いのか分からず涙が止まらなかった。

 

こうして田舎から神奈川に戻ったその日にたまたま友人Aとまた再開する。

 

彼に話をするとすぐに大麻を無償で分け与えてくれ、更には今の自分の状況を知った今まで自宅に招待してセッションを楽しんできたWEED仲間達もが次から次へと大麻を無償で分け与えてくれ、そのお陰もあって自殺を思い直し

今度は自分が大麻に恩返しする番なのだと少しづつ前に進み始めるのであった。

微力ながらも何か出来ないかと考えた時に私の昔の夢の一つに小説家という夢があったのを思い出したのであった。

 

昔から文章を書くのが得意でいつか自分の本を出したいとずっと考えていた。

浪人時代にはオタク仲間とお互いに書いたライトノベルもどきを見せあい

キャッキャウフフしたものである。

 

人によっては黒歴史なのかもしれないが

それからも私は趣味の一つとしてなんとなく小説は書き続けていた。

しかし中々書きたいテーマが定まらないのと

完璧主義過ぎて最後まで仕上げた作品はまだなかった。

 

そんな事もあっ他ある日、体に電撃が走ったように思い付いた。

 

『そうだ、大麻をテーマにした小説を書こう』

 

その為にまずは書くための時間を確保しなければ……

そう考えだすともう自殺なんて事は考えはしなくもなっていた。

それと同時にブログで大麻について発信していき、認知を広めよう。

 

大麻は気持ちをポジティブにしてくれる。

それを確信した瞬間でもあった。

仮想通貨で繋がる首の薄皮1枚

 

そんな中2017年初めあたりに大麻仲間からたまたま仮想通貨の話を聞いており

中でもXEMXRPが熱いと言われていて(今もそうだが)

なんとなく10万円分ずつ買ってみると、それがなんと2017年の末に高騰

上手く売り抜けることに成功投資の面白さを知るのであった。

 

そんな中大麻仲間友人Mと遭遇、今丁度いい案件があると仕事を振ってくれ、なんと自宅で出来る仕事だという。

更に詳しく話を聞いてみるとバイナリーオプション用の個人的に500万出して作ってもらったサインツールがあるからそれを使って欲しい。

PCも希望のスペックで提供してくれ、しかも投資資金も向こう持ちだと言うのである。

 

こんな美味しい話はない!、上手く行けば在宅で愛猫を呼び戻して離れることもなく仕事ができて。しかも元々前から興味があった投資の勉強も出来る二つ返事でOKバイナリーオプションの仕事を始めるのであった。

 

これもまた別記事に詳しく書いてここにまとめ記事を貼るつもるではあるが

結果だけ言うと、私はこれでタコ負けして全財産を失い

更には借金200万まで背負うことになる。

 

今になって思えば既に私には初めから勝ち目のない勝負であったのであるが

それもいつかその記事で詳しく語ろう。

 

そうしてその後も友人Mの紹介で廃品回収車の仕事を2週間ほどするも、無駄に借金を増やすだけで、その間に家賃も3ヶ月ほど滞納電気もガスも止まった生活をしていたため、ついには強制退去家を追い出されしかもその強制退去日に下腹部に腫瘍が見つかり救急車に運ばれ即手術・入院の麻雀で言うなら倍満クラスの災難にもあい、

再び人生のどん底へと落ちていったのであったのであった。

 

★投資の勉強を決意

 

最初の投資自体は前述の通り勉強不足もありすぐに痛い目を見たのだが、

これが縁となり友人Aの紹介で医者から仮想通貨を教えてほしいと声がかかり、

その後個人契約、そのコンサル料として月50万稼ぐ事が出来たのも大きな自信となる。

 

またその先生から病院内の人材不足を補うために、看護助手として正社員で働かせてもらいもしたのだが、その給料はコンサル時の半額でますます普通に働いて稼ぐ事の時間の無駄さを実感する。

 

その病院も休憩室で友人Aと大麻を吸っていたのがバレて首になるのだが

これはまた長くなるので別の所でしようかと思う。

 

とまあこうして社会不適合者の道を爆走してきたのだがここでついに

日本での生活に限界を感じ始める。(今更であるw)

無職期間には暇すぎて瞑想にハマり、その頃から生きる意味とは何か

とか本当の幸せとは何かとかを考え始めるようになる。

★断捨離・6年ぶりの帰省・そして海外へ

最後の無職期間はひたすら家のものを売ってなんとかその日暮らしを続け

最低限の着替えとiphone意外は全て売り飛ばし、ついに実家を飛び出して5年あまり

全てを失った私はとうとう5年以上連絡を取らなかった実家へと逃げ帰るのであった。

 

 

5年ぶりの実家へ帰ると、あれだけ小うるさかった両親も気のせいか随分と小さく見え

すっかりその見てくれはおじいちゃんとおばあちゃんになっていた。

家を出る前から飼っていた実家の猫も2匹とも既に死んでおり

いつまでも若いと思っていた両親は少し戸惑った顔をしながらも

私を受け入れてくれたように見えた。

 

最盛期には3店舗もあった父の美容室も、バブルの崩壊と不景気の煽りをくらい残り1店舗となり、その店も風前の灯火だという。

あれだけキレイだった実家の億ションも経年劣化で床や壁の痛みはひどく

更には老眼で汚れが見えないのであろうか、掃除が全然なされていなかった。

 

ローンもまだ半分ほど残っていると言うそのボロボロの実家を見て

私はその時初めて、5年という時の経過の重さを実感したのである。

父は前と相変わらず社会保険のあるところに就職しろ』と呪いのように私に言うが

その背中と語彙に以前の力強さは既に無く、仕事から帰ると飲めないお酒を煽って顔を真っ赤にしてはすぐに寝てしまうのであった。

 

母親も歳のせいか、てんかんの症状が激しくなっており、感情の起伏や発作の頻度が上がっており、病気のせいで悲しそうに微笑む母親の姿を見て、なおさら大麻の必要性を感じるのであった。

 

この家族を救えるのは私だけだ

 

しかし日本で大麻を吸わせるわけにもいかない

そもそも両親ともに『駄目、絶対』を大きく信じており、特に警察官に育てられた父親大麻もドラッグもダサいものと認識しており、おそらく大麻と聞いた瞬間に殴られるのがオチである。

 

どうしようかと途方に暮れていた時に思いついたのが

『カナダに自分の大麻喫煙ショップを作る』

という計画であった。

 

それで成功して名を売って本を出そう。

その本を売ったお金で実家のローンも払いきって

家族ごとカナダに移住してやる!!

 

 

 

日本人が経営する仮想通貨を使って1g=1円で吸えるお店にすればきっと日本で大麻に触れたことがない日本人観光客でも気軽に大麻に触れられる機会も得られて

更には開業資金も集めやすい!

こうしてどんどんと日本人の大麻経験者を増やしていけばいずれ日本も変えられる!

ドクンと熱いマグマのような、産まれてから初めて感じる衝動のような、体の内側から沸騰するようにエネルギーが湧き出すのを感じた瞬間でもあった。

 

私の20代を一言で表すのであればそれは大麻だった

 

そう断言出来るほどに私をあらゆる面で夢中に、そして生きる上での

支えとなった大麻に、その出会いから全てが運命としか言いようがないその

愛すべき大自然の恵みに恩返しする時がついに来たと勝手ながら

使命感のようなものも感じたのであった。

 

百聞は一見に如かずと言うが大麻こそ正にそれで

何事も体験しなければ分からない世界と言うのは確かに存在するのである。

 

しかし日本人でこの計画を実現させるには法的にハードルが高そうだ……

 

そこでまず考えたのはカナダ人になることであった。

カナダ人になってさえしまえば日本の法律の事でとやかく言われる事もないであろう。

心さえ日本にあれば国籍など関係ない!

そうとなれば早速大麻好きのカナダ人美女の嫁探しだ!(そっちが本命かいw)

一文無し、借金まみれの状態でカナダへの移住計画を立てるのであった……

 

こうして私はこの無謀な計画を成功させるためにまず計画や考えをまとめる場所

そして海外で自由に動くための安定した収入と時間が必要であると考え

まずはその一歩としてこのブログを始めたのであった。

 

と、まぁここまでが2018年8月現在のDJ HappyWeedCatの大まかな経歴である。

 

まだまだやる事は山積みなのだがまず

今は情報を常に発信し続けるする側でいる事

そしてこのブログを書き続ける事が

この大きな目標への最短の一歩と信じ書き続けるのであった……

 

果たしてここまで読んでくれた読者がいったいどれだけいるのか分からないが

こんな路傍の石ころのくっさい自分語りを、最後まで読んだよという

奇特な方がいれば、まずありがとうございますと感謝を伝えたいです!

ありがとうございます!お疲れ様でした!

 

またこれからも応援するよって方がもしいらっしゃればツイートしていただければ必ず反応しますので、下のツイートボタンから呟いていただければ必ずエゴサにより反応致しますのでご協力のほどよろしくお願い致します。

 また、この計画を応援してくださる同士の方や日本で大麻は吸った事はないけど海外で吸ってみたいという方がいましたら支援金をBTCかPOTcoinにて受け付けております。

支援金は全額合法国での大麻喫煙ショップの開業資金と大麻合法化活動に

使わせていただきます。

 

BTC:1LG2wYMji47CQLfA1tknsfQ6VYdYesGNFj

f:id:djhappy:20180913200936j:plain

POTcoin:PE1iNenRABvv45rew85ZTnQGrL19n8Gmi8

 

f:id:djhappy:20180913201047j:plain

potcoinQR

 

 お仕事の依頼・お問い合わせ等・計画の協力者は

djhappy420weedあっとgmail.com

あっと@に代えてご連絡お願い致します。

 

thankyou read!!

 

have a nice chill time!

 

 

 

*1:1万字程度では終わらない

ハンターハンターの冨樫義博先生は腰痛緩和に大麻を使用か??

どうも、こんにちは! DJ happyです!

 

今回の話題はタイトルの通りです!

 

予め断っておきますが、何を隠そうこのDJ happy、幽遊白書の飛影と蔵馬から始まり

ハンターハンターのキルアとクラピカという私の発症した不治の病である厨二病

大部分を作り上げてくだっさたのが、かの冨樫大先生であり

決してその先生を侮辱、名誉毀損、貶める為などで書いたわけではない事を

ご理解頂ければと思います。

 

むしろリスクを犯してまで日本に警報を鳴らしてくれている冨樫先生を尊敬しており

いつか日本でも冨樫先生に腰痛の処方箋として大麻が処方され、気持ちよく漫画を書いていただける未来を信じております。

 

それでは前置きが長くなりましたが、まず最初にこちらの画像を御覧くださいませ。

f:id:djhappy:20180905172940j:plain

一応ハンターハンターを読んだ事の無い方に説明いたしますと

とある王国の命をかけた王位継承戦の最中第七王子であるルズールス(団子頭)と

その護衛であるバショウ(リーゼント)との船室での1シーンである。

 

私はこれを見た瞬間大麻について語っているなとすぐに感じました。

おそらく大多数の大麻経験者や感の良い読者さんも同じ事を感じられたかと思います。

 

解説するとまず『キレイなハッパ』とあるが、ハッパというのは日本のアングラ界における大麻マリファナの隠語の一つであり、しかもページの初っ端からルズールスが『キレイなハッパ』が合法かどうか触れている当たりもポイントである。

 

しかもその後も『キレイなハッパ』は健康になるというその効能や薬物中毒患者への治療法に使えないかなどとその運用方法についても触れていて

現実世界での日本での大麻の扱いとその利用価値が同じなのにも注目である。

 

しかしまだこれだけで断定は出来ない。

大麻以外にも当てはまる『キレイなハッパ』はあるかもしれないし

全く別の事を語っている可能性も否定はできない。

 

では続いて次の画像を2枚御覧ください。

 

f:id:djhappy:20180905172937p:plain

f:id:djhappy:20180905172934p:plain

 

_人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人_
> ジョイントタイプのパーティーフォーム!! 
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^

最初これをジャンプで読んだ時は思わず二度見をしてしまいました。

漢字にすると相互協力型の集団行動形式である。

 

正直ジョイントタイプのパーティーフォームだけでお腹一杯なのであるが

その前に書かれている『全員が同じ意思の元行動し、息を合わせる

ここで私の中の疑惑は確定的な物になった。

 

そもそも乾燥大麻を細かく砕いて

煙草のように巻紙で包んだ物をジョイントと呼ぶのは既に皆様御存知かと思いますが

それが何故ジョイントと呼ばれるのかについては諸説ありきだが私は

『ジョイントを回すことで参加している者達を同じ酔いで繋ぐ意味でのジョイント』

と定義しており、その楽しみ方は一つのジョイントを同じ意志の元、息を合わせるために回し合うのである。

大麻好きはパーティーの時に仲間とジョイントを回して楽しむのである。

 

おそらく冨樫先生はその長年の持病である腰痛の治療方法を求め

最後にいきついたのが大麻マリファナだったのではないか?

冨樫先生ほどのお方であれば大麻が合法な海外に住んでいてもおかしくなく

それこそ合法な国で治療法として試してみたのではないか?

 

そして実際にその身で体験し大麻が悪いものではないと分かり

その知名度と自作を使用してまで我々日本国民に真実を教えてくれようと

しているのではないか?

全ては推測でしかないがこの3ページから私に想像できるのはここまでである。

 

しかし全く冨樫先生には頭があがない。

富樫仕事しろなどととよく言われているが

既に奥さんと合わせてこれ以上漫画も書く必要もないくらい稼いでるのにも関わらず

腰痛を堪えながら必死に漫画を描いてしかも日本に警報を鳴らしてくれている冨樫先生にはまず感謝をしながら

いち早く日本でも大麻を合法化し気持ちよく大麻を吸える環境を整える事が

冨樫先生の腰痛を助けることであり

我々がいち早くハンターハンターの最新話を楽しむ為の一番の近道なのかもしれない。

 

それではまた

 

 

 

 

スマホ一つで世界へ羽ばたく

スマホ一つでで世界へ羽ばたく

私が固定観念の一つとして持っていたのが

ブログはpcから書かなければならないという事だ。

 

とにかく机に座ってブラウザを立ち上げキーボードに文字を打ち込む。

 

こんな事しなくても今目の前にあるスマホフリック入力で文字入力をすればとにかくブログは書けるのだ!スマホ万歳!

 

ワープロ検定二級程度のキーボード入力スキルであればフリック入力とさほど速度ら変わらない。

 

流石にかな入力はきついと思うのでこれからブログをスマホで書こうとお考えの方はこの機会に是非フリック入力を覚えてみては?

 

それではまた次回

have a good chill time!

 

ブログを書くにあたっての目標と今後について

久々のブログ公開なので

まずは書くことに慣れる為にドンドン投稿していこうと

考えています。

 

コンテンツを増やす事良い記事

を書く事を両立させていけば

必ずPV数は増えていくと思うので頑張ります!

まずは継続力!

 

・目標月間PV100万

・早期収益化(月最低30万)

・書籍(小説)の販売

 

この3つをブログを開くにあたっての

最終目標としていきたいと思います!

そして今考えている人生の最終的な目標は

大麻が合法な国に

日本人が気軽に大麻を吸えるコーヒショップを開きたいと考えいます。

 

コーヒーショップでピンと来る方には説明不要なのですが

要は大麻が気軽に安価で吸える日本人向けの喫茶店を開きたいと考えています。

 

まだまだ草案なので資金提供や開業支援を行ってを頂ける方いましたらご連絡頂けると嬉しいです!

 

このブログについて

このブログはカナダ在住の大麻をこよなく愛するストナーDJ HappyWeedCatによる

主に大麻マリファナ関連の事柄テーマとして取り扱った

雑記や体験記などを記載するブログとなっております。

 

ウルグアイ・カナダを始め、今着々と変わり始めている世界の大麻事情

未だに日本ではタブー扱いされている大麻について

大麻って別にそんなに悪い奴じゃないよ」

って事を少しでも多くの日本人に知ってもらう為のブログです。

DJ HappyWeedCatの気になった事や職業体験レポートなど

ガンガン興味のあるテーマについても書いていく予定です。

また、告知や宣伝なども行う予定です。

 

お仕事のご依頼やお問い合わせは↓

djhappy420weedあっとgmail.com

まであっとを@に変えてお願いいたします。

 

また当ブログは日本国内での大麻の販売や栽培

譲渡や所持などを推奨するサイトではありません。

日本国内での大麻の所持や売買などは2018年現在

日本国内においては違法となります。

大麻を楽しみたい方は日本で合法化するまで

アムステルダムか今年から合法化するカナダへ行ってストーンしよう!